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古民家

東京探訪に出掛ける、の巻

《四日市の町家再生 Part2》

 

さて、そんなこんなで、チーム古民家の面々で、四日市H様邸の町家再生のお手伝いをすることになった。

いつものごとく、図面・見積り作成に四苦八苦するのだが、今回は設計に強力な助っ人、sigezoさんが居るので心強い。彼は、伝統構法だろうが海に浮かぶ船だろうが、どんなものでも構造計算してしまう、プロ中のプロなのだ。

そんな彼の手助けを得ながら、図面は進む。

今回は、お施主さまが、インテリアデザイン関係ということで、具体的な間取りのイメージ、家具・器具から照明に至るまで、素晴らしく綿密な指示図面を作ってくれた。

おかげで、打ち合わせは非常にスムーズ。今後、他の現場でも、是非インテリアデザインをお願いしたい。

 

そして、いよいよ今回のお題の東京探訪。

東京にいい古建具屋があるというので、見に行くことになった。
このH様邸の町家再生においては、ほとんど全て、古い木建具を利用する。

アルミサッシという、便利で気密性が良くて、施工性の良いものなんて使わない。
これはあくまでも古民家再生なのだ。隙間風が吹こうがガタピシしようが、何より古民家に見合ったデザイン、質感が何より大切である。うん、素晴らしい!

木神楽では、この日の為に軽ワゴン車を購入。そう、うちには今までトラックしかなかったのだ。今後各地への移動に活躍してくれるであろう。
そして、sigezoさんを隣に乗せ、いざ東京へ。
お施主さんは東京住まいなので(町家再生が出来たら、こちらへ引っ越し予定)お施主様宅を目指す。

東京へ行くのは何度目かな、という自分は結構ワクワク。

sigezoさんは、なんと昔東京に住んでいたそうで、かなり詳しい。
そして、着いたその日の夜は、施主さんに案内してもらい、神楽坂とかいうおしゃれな街へ。ここは古い路地がたくさんあり、古い町家を利用した飲食店が密集している。その中の、もちろん町家を利用した何とも雰囲気のいいお店で、旨い酒を料理を頂く。

神楽坂の写真は撮ってないので、ネットから拾ったイメージ写真をどうぞ。

石畳の続く、ほんとに素敵な町だった。

 

さて、泊まりは当然車の中。この車中泊が出来るのも、ワゴン車を買った理由のひとつである。
ご覧のように、二人までならホテルのスイートにも劣らない。

 

翌朝起きてみると、隣には異様な建物。

 

 

此処に住んでいる人がいるらしい。何とも東京とは恐ろしいところである。

つづく

四日市で古民家再生はじまる

最初にお話を頂いたのは、去年の夏頃。改装したい古民家があるので、相談に乗って欲しいとの依頼。

 

そこで、我ら古民家好きにより結成された“チーム古民家”が出動する事となった。

チーム古民家のメンバーは、リーダーのsigezo(設計)、K山(左官)、丹羽(大工)、そしてわたくしの計4人のメンバーからなる。今回は、大工の丹羽君が、アメリカへお堂を建てに長期出張中なので、その他の3人で向かった。

 

 


場所は、すぐ近くに全国的に有名なコンビナート地帯がある四日市市中心部。周りはマンションやビルが多いが、ポツポツと古い家も残る所だ。

 

敷地は、間口非常に狭く、いわゆるウナギの寝床。ニ間半の建物が幅いっぱいに建っている状況。ま、町家ではよくあるパターンだ。そして町家の特徴である、入口を入って中庭までの通り土間、そして裏庭、奥に離れが建っている形式。

建築年式は、それほど古くはなく昭和の戦後になってからなので、約80年く らいか。

ここのお父さまもお爺様も大工で、手前の母屋はお爺様、離れはお父さまが建てたとこの事。

さて、その建物、なかなかいい感じの古さだ。物置き場所として使われているので、沢山の荷物があるが、おおよそこんな感じ。

裏側から見た、の図。片流れ屋根、いい感じにやれて錆びた波とたん。

中の一部は、洋間に改造されている。

母屋2階から、中庭を望む。複雑な増築により、水周りが作られている。

離れ二階から母屋を見たところ。

 

 


母屋一階の座敷から中庭方向を見る、の図。

 

母屋二階は、落ち着いた和室になっている。

最後にオマケの1枚。こんなごきげんなヒノキ風呂があるのだ。

モデルはSigezo
つづく

先日の古材レスキュー その後


この写真は、先日古材を貰ってきた家の解体される前の写真である。

実はこの家は、僕も所属する津ヘリテージマネージャーズが、約1年前に調査していたのだ。自分はその時はあいにく参加出来なかったのだが、その時の調査報告書を、先日の古材レスキューに同行してくれた島村氏が送ってくれたので、ここに記そうと思う。


以下報告書による。

伝承によると、この家は元藤堂藩の別荘として建築された。そして昭和9年頃に、現在の場所に移築された。

調査で棟札は見付けられなかったが、野地板にあった墨書きには文化十二年(1815年)とあり、装飾が施された違い棚の裏に落款があり、作者が土佐光: 安永9〜嘉永5(1780-1852)と判明した。

そして間取りの調査では、玄関が無かったことから、移築する前は大きな建物の一部であっただろうと推測される。

以上のことにより、おそらく最初に建てられたのは江戸時代後期、今から約200年前らしいことが分かる。

なお違い棚は、胡粉と膠による伝統的な筆書き装飾らしい。これらは施主にて取り外され、保管されているとのことだ。

速報、古材レスキュー隊出動する

それは、とある日の夕方、一本の電話から始まる。

「高橋くん?あたしよあたし!設計の大森よ」

電話の主は、この三重県の設計業界の重鎮、知る人ぞ知る大森設計室主宰の大森女史。

ここで少し、大森女史の説明をしよう。あ、興味無い方は読み飛ばして貰ってオッケー。彼女は、当然の事ながらこだわりの家を設計し、さらには家の設計だけでは飽き足らず、「みえもん」という三重の木を使ったオリジナルブランドを立ち上げたり、更には、津のヘリテージマネージャーズ達をまとめ指揮する(他にも色々ある)など、とにかくよく動くバイタリティ溢れるお方である。

さて、そんな彼女からの話の内容は、何でも貴重な古民家が解体されるので、明日朝イチに、古材や古建具を引き取りに来てくれ、というのもの。

何とも急な話だが、大森女史からの依頼を断れる筈もなく、急遽翌日の予定を変更し、弟子の桝屋と、現場に向かう事にした。


かくして、今回の古材レスキュー隊は、木神楽から2名に、大森女史、そして今回の情報をくれたこれまた津建築士会の重鎮、島村氏の4名にて編成された。

現場は、津市近郊、旧伊賀街道沿いにある、うちからも近く、抜け道でよく通る道沿いだった。

今まで気付かなかったが、なるほど屋根の造りからして、ここら辺の民家とは違う。年代はハッキリしないが、藤堂家の何とかかんとかで、かなり由緒ある建物らしい。移築であるということだが、移築してからも100年以上は経っているだろう。

因みにご近所周りからは、御殿と呼ばれていたくらい、周囲とは別格の建物である。


とにかく立派な造りで、武家屋敷かそういうものに近いか。何と既に解体が始まっており、建具も畳も取り外され、瓦をめくっている段階だ。

解体屋さんの手を止めてはいけないので、とにかく急いで、外してある建具の中から良さそうなものを引っ張りだし、大森女史リクエストの書院の床板を外し、後はそこら辺の目に付いたモノを積んで来た。

それが最初の写真。

左側が障子、その下には板戸もある。右側は簾戸。どちらも漆塗り。

あ、簾戸というのは、葦を入れた戸で、夏の間は襖などの代わりにそれを入れて、風通しをよくする。いい座敷のあるとこにしかない、滅多に見ることのない戸だ。

障子のこの仕口を見ても、いかに良い仕事がしてあるかが分かる。


あとは、やたら程度のよい長持や、外した書院の床板、その他諸々。解体処分を逃れたこれらは、今後の古民家再生などに利用するべく、うちの工房で保管する事になる。