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モバイルハウス、風に乗る

《スモールハウスpart4》

(注)この出来事は、2年前です。

そして出来上がったモバイルハウスを、さっそく現場に運び、使用することにした。現場はその時取り掛かっていた美杉町の『日本料理 朔』建築現場だ。和歌山から長期出張中のK山さんの荷物も一緒に運び込む。これで朝起きたらすぐ仕事できるし、仕事が終わればすぐに寝れる。木神楽がブラック企業で、寝る時間以外働けとか、そういう訳では決して無い。

休憩時間、軽くイメージ写真を撮影。冬の小春日和、暖かい日差しを受け、リラックスする施主さま。しかし、この後、とんでもないことが起こった。

にわかに雲行きが怪しくなり、日は陰り風が吹き始める。この山間部の冬の天気ではよくあること。そして勢いよく突風が吹いた次の瞬間。

 

忽然と消えたモバイルハウス。

正確には、風に吹き飛ばされたのだ。余りに一瞬の出来事であり、押さえるとかそんな暇は無かった。

 

ちょうどこの場所の裏側は、ちょっとした崖になっていて、その下までモバイルハウスは吹き飛ばされたのだ。ちなみに小山さんは無事だった。見るも無惨なモバイルハウス。扉はちぎれ、外れた屋根の上には荷物が散乱。

しばし呆然と眺める。本当に怪我とか無くて良かった。下の道路に誰かいたらそれこそ大変だ。そしてみんなでK山さんの荷物を拾い集め、元の位置に戻す。

よく見ると、骨組みが一部折れてはいるが、対して壊れてい無い。数メートルの高さから落ちてこの程度の損傷なら大したものだ。さっそく弟子の桝屋に補修させ、そして今度はしっかりと固定し、お施主さまに入っていただく。

突風のあと、降ってきた雪であっという間に一面銀世界となった。トタン一枚貼っただけのハコの中でK山さんは寝られるのか?!  それは大丈夫。彼は、冬の富士山頂でも寝られるモンベルの最高級ダウンのシュラフを持っているので、何も心配はいらない。

今回の出来事で、軽量化に成功し、なおかつ丈夫だということが実証された。そして、さらに同じ規格で第2号が作られることになる。

つづく

モバイルハウス登場する

《スモールハウスpart3》

(注)この話は、2年前の事。

さて、サルシカ隊の軽トラキャンパー事業が挫折してしまい、傷心の我らだったが、そこに新たなる課題が飛び込んで来た。
今度のは、軽トラの荷台に載せるキャンパー、というよりハコである。そして前回の反省を生かして、如何に軽く、そして手間を掛けずに作るか、に重点を置くことになる。

今度のオーナー、つまり発注者は木神楽の主要メンバーでもあるK山左官。

K山さんは、その土地の土、地に生えてる竹など、そこにある地のものを使い、壁を塗る左官職人だ。木神楽の木と土壁の家は、彼無くしてはあり得ない。

そして、彼は和歌山県からきているので、こちらに居るとき用の家が欲しいとのこと。

家=安くて小さいのでいい=持ち運びできるといい=軽トラに載せよう! ということで製作決定。


そして先ずは、綿密?な設計図面を作成した。彼が中でギリギリ寝て、立てる、そして軽トラの荷台に載る大きさ、さらに中の換気、コスト、使い易さ、それらを総合して、最高のパフォーマンスを発揮するカタチが浮かび上がった。

予算はあまり無いので、すぐに製作に取り掛かる。骨組みは前回のキャンパーと同じく45mm角の杉材。しかしここからが違った。とにかく軽くするために、余計なものは張らない。ここに直接、外装のガルバリウム鋼板を貼ることにした。

 

ガルバリウムの色は、単純にカッコイイからという理由で、黒を選ぶ。カッコイイことは大切なことだ。

 

そしてあっという間に完成!


一見ただの黒い大きなハコ。しかし…


前面の開口部が、開くと


この様に快適な空間が生まれる。

床は、有り合わせの杉板。前面の入り口は、はね上げれば庇代わりになる。屋根は、固定せず自由に取り外せるフタ。

天井が開くようになっているので、中で小さく火を焚くことも可能だ。

そしてこれをロケーションの良い所に運び、加納カメラマンに撮影してもらった。それがコレ。

モバイルハウスProduct1

さすがプロのカメラマン、素晴らしい写真が出来上がったきた。実物はもうちょっとしょぼいんだけど、まあいいか。そしてこの写真を見たNAGIの編集長から連絡があり、NAGI61号に掲載される。

 

そして、さっそく使用されるのだが、大変なハプニングが起こる。それは次回。

先日の古材レスキュー その後


この写真は、先日古材を貰ってきた家の解体される前の写真である。

実はこの家は、僕も所属する津ヘリテージマネージャーズが、約1年前に調査していたのだ。自分はその時はあいにく参加出来なかったのだが、その時の調査報告書を、先日の古材レスキューに同行してくれた島村氏が送ってくれたので、ここに記そうと思う。


以下報告書による。

伝承によると、この家は元藤堂藩の別荘として建築された。そして昭和9年頃に、現在の場所に移築された。

調査で棟札は見付けられなかったが、野地板にあった墨書きには文化十二年(1815年)とあり、装飾が施された違い棚の裏に落款があり、作者が土佐光: 安永9〜嘉永5(1780-1852)と判明した。

そして間取りの調査では、玄関が無かったことから、移築する前は大きな建物の一部であっただろうと推測される。

以上のことにより、おそらく最初に建てられたのは江戸時代後期、今から約200年前らしいことが分かる。

なお違い棚は、胡粉と膠による伝統的な筆書き装飾らしい。これらは施主にて取り外され、保管されているとのことだ。

松阪の土壁の家、建て前をする

《松阪の土壁の家 Part4》

これはちょうど1年前の話。

さて、構造材の墨付け、刻みがどんどんと進んでいくが、実はそれと同時に、鳥羽の土壁の家の準備も始まっていた。刻みが終わらないうちに、鳥羽の家の材料が工房にどっと入ってくる。

そして建て前は、5月末日と決定、そしてそのすぐ後6月1日に鳥羽の家の建て前も決定するという、とてつもなくハードなスケジュールとなった。どちらも梅雨に入る前ギリギリである。

そして、ようやく迎えた建て前の日。

まず初日は、下組みをする。伝統構法な建物は、木組みが複雑なので、まず寝かした状態で組めるところを組んでしまう。

そして2日目、前日に組んだものを、クレーン車で順番に起こしてゆく。この過程は、大工として最も面白いところである。


そしてこれらは、屋根の登り梁。合掌梁とも言う。この松阪の家の見せ所でもある構造材だ。これを入れる事により、よりシンプルで美しく、そして小屋裏が使い易い架構となる。


これはお楽しみのお昼時間。今回は、いつもの大工メンバーに、木の家ネットの仲間である、滋賀の宮内建築にも来てもらった。宮内さんちは、こだわりの木組みの家、とりわけ石場建ての新築も結構手掛けていて、僕としては、今回の自信のある家を是非見に来てもらいたかったのだ。


そうして屋根まで完成。ここまで4日掛かった。木組みの家にしては早い方だろう。

さあ、次はいよいよ土壁。左官屋さんの出番である。

つづく

新建新聞社来たる

木神楽に新聞社が取材に来た。その名も新建新聞。

一般の方は知らないだろうが、住宅を初め、建築のトレンドや情報を扱う、この業界では知る人ぞ知る業界専門新聞社だ。

実は5、6年前に一度取材に来られて、新建ハウジングという冊子の記事になった。その時は、まだ今の屋号に変える前の高橋建築工房で、ちょうどその頃やっていた畳de事務所 のことをお話した。

その時の掲載情報、中ほどで紹介

今回もやって来たのは、その時と同じ記者の桝田さん。いや、名刺の肩書きを見ると、編集長になっておられる。お顔は完全に忘れていたが、特徴的なボサボサ頭は覚えたし、Facebook でも繋がったので、もう忘れる事はないだろう。

 

東京から電車できて、津で前泊するというので、工房へ泊まってもらうことにした。

津駅まで迎えに行き、街まで出てきたので、前日にオープンした津の盛り場、大門のランタン通りへご案内。そこでお友達の材木屋や大工達と合流、さらにはその後、他の花見会場へも行く。

建築に関係ある人ない人たくさん居たが、色々と親交を深めてもらった。きっと有意義な情報交換が出来たに違いない。


そして翌日の取材は、現在施行中の鳥羽の土壁の家だ。ここの家は、施主さん施工の部分とうちで請け負う部分とあり、その取り組みを記事にしたいとのことである。スタンバイして待っててもらったお施主さんの作業風景を撮り、お話を聞いて、取材は終わった。また記事になったら、紹介しよう。

他に、桝田さんからちょっと面白そうな情報も得たので、そちらもやってみようか検討中。実になるようならご報告する。

 

 

 

軽トラキャンパーを作った、の巻

《スモールハウス Part2》

これ、今頃書いてますが、3年も前の話。

スモールハウスと同じく熱い視線を向けていたキャンピングカー。そしてそれをを作ることになったのは、数年前のこと。僕たちが隊員として活動するサルシカ隊だった。

隊長はじめ、サルシカ隊員の間でも話題のキャンピングカー、しかし通常は高くて手が出ない。それをリーズナブルでお手軽な軽トラキャンパーにして、うまくいけば販売しようということになったのだ。

コンセプト、当然それは軽トラに乗るよう小さく作り、何より、何処へでも移動出来るモバイルな住まい。普段の足の軽トラに、週末だけそのキャンパーを積み込み、旅に出る、という感じか。

ということで、木神楽の工房にて制作が始まった。普段作っている家とは違い、丈夫に作る、というより、とにかく軽くしなきゃならん、というのを頭において進める。

形は、軽トラの荷台にフィットする、そして上が前に伸びているキャンパーらしい外観だ。

構造は、普段よく使う45角の下地材で骨組みを組み上げ、剛性を出すために5mmのベニヤ板を貼った。

実は、軽くするはずが、ベニヤを貼った時点でかなり重くなる。これはまずいなと思いつつ、その上に防水用のパネル、サイドには杉板を貼って化粧を施し、窓や出入り口を取り付けて、完成だ!

ここにその全貌を表そう。

 

 

完成と言っても中は仕上げてないが、内装は今後の使い勝手に応じて作れば良いので、敢えて作ってない。

内部は2段構造になっていて、上段は取り外しできるベットになっている。

そして・・とてもしっかり作れたのだが非常に重い。大人4〜5人で吊り上げないと、荷台への上げ下ろしは出来ない。

もう少し軽くするためには、骨組みをもっと細くし、外部の防水はFRPか何かでする必要があるだろう。若しくは頻繁な上げ下ろしは諦め、積みっぱなしなら良いのだが。

 

そしてサルシカ隊の秘密基地に納品。

今後のサルシカのイベントでどんどん使う予定だったが、結局出動したのは数回か。今は秘密基地の倉庫で、物置き代わりになっている。

 

さて肝心の販売計画の方だが、地域課題解決何たらの助成金でやろうかと、申請して、あえなく申請却下、というところで、現在停滞しているところだ。

 

 

 

速報、古材レスキュー隊出動する

それは、とある日の夕方、一本の電話から始まる。

「高橋くん?あたしよあたし!設計の大森よ」

電話の主は、この三重県の設計業界の重鎮、知る人ぞ知る大森設計室主宰の大森女史。

ここで少し、大森女史の説明をしよう。あ、興味無い方は読み飛ばして貰ってオッケー。彼女は、当然の事ながらこだわりの家を設計し、さらには家の設計だけでは飽き足らず、「みえもん」という三重の木を使ったオリジナルブランドを立ち上げたり、更には、津のヘリテージマネージャーズ達をまとめ指揮する(他にも色々ある)など、とにかくよく動くバイタリティ溢れるお方である。

さて、そんな彼女からの話の内容は、何でも貴重な古民家が解体されるので、明日朝イチに、古材や古建具を引き取りに来てくれ、というのもの。

何とも急な話だが、大森女史からの依頼を断れる筈もなく、急遽翌日の予定を変更し、弟子の桝屋と、現場に向かう事にした。


かくして、今回の古材レスキュー隊は、木神楽から2名に、大森女史、そして今回の情報をくれたこれまた津建築士会の重鎮、島村氏の4名にて編成された。

現場は、津市近郊、旧伊賀街道沿いにある、うちからも近く、抜け道でよく通る道沿いだった。

今まで気付かなかったが、なるほど屋根の造りからして、ここら辺の民家とは違う。年代はハッキリしないが、藤堂家の何とかかんとかで、かなり由緒ある建物らしい。移築であるということだが、移築してからも100年以上は経っているだろう。

因みにご近所周りからは、御殿と呼ばれていたくらい、周囲とは別格の建物である。


とにかく立派な造りで、武家屋敷かそういうものに近いか。何と既に解体が始まっており、建具も畳も取り外され、瓦をめくっている段階だ。

解体屋さんの手を止めてはいけないので、とにかく急いで、外してある建具の中から良さそうなものを引っ張りだし、大森女史リクエストの書院の床板を外し、後はそこら辺の目に付いたモノを積んで来た。

それが最初の写真。

左側が障子、その下には板戸もある。右側は簾戸。どちらも漆塗り。

あ、簾戸というのは、葦を入れた戸で、夏の間は襖などの代わりにそれを入れて、風通しをよくする。いい座敷のあるとこにしかない、滅多に見ることのない戸だ。

障子のこの仕口を見ても、いかに良い仕事がしてあるかが分かる。


あとは、やたら程度のよい長持や、外した書院の床板、その他諸々。解体処分を逃れたこれらは、今後の古民家再生などに利用するべく、うちの工房で保管する事になる。

手巻き式の掛け時計

これは、お客さんと建具を買いに行った、東京の古建具屋さんで見付けたもの。

そこは、ひでしな商店 といって、全国から古建具を集めて販売している。ネット販売でもお店に行ってもオッケーだ。

ちなみに、そこの古建具の管理がしっかりしていて、全ての在庫の写真と寸法を取り、No.を付けて、どんな在庫の建具があるか直ぐに分かるようになっている。これは是非取り入れたい。

とにかくそこで見付けて、割安で手に入れたこのアンティークな時計。

よくあるボンボン時計と比べてかなりオシャレな外観で、勿論全て無垢材で作られている。てっきり壊れていると思いきや、ネジを巻いたらちゃんと動き出した。


くすんだ外観と硝子も、磨いたらこの通り、綺麗に蘇った。事務所にお寄りの際は、是非このボンボン時計を一見されたし。

新築に古建具を使う方法

《鳥羽の土壁の家 part5》

5.古建具をリサイズして使う

これについては、コストダウンの為にこれを選択した。今はベニヤを使った安い建具があるのだが、この家にそんなのは似合わない。

ここの家は内部は全て引戸なので、日本の古建具が利用出来る。引戸は、気密性に欠けるが、開け放しても邪魔にはならないので、開放的な家作りには欠かせない。
うちには、あちこちの古民家から引き揚げてきた古建具が沢山あるので、その中から、良いのを選んで使う。ただ背丈が低いので、下に框を足して、かさ上げする事になる。

もちろん幅も確かめて、古建具が納まるよう念入りに検討した。

戸車は新しくし、Vレールにするので、スイスイ動く。

今回、主に使うのは、大阪格子と言われる格子と障子のハイブリッド戸。細い格子が繊細で、中々カッコいいのだ。

土壁は、大地そのものだ

《鳥羽の土壁の家 part4》

鳥羽の家の特長、昨日の続き

  1. もりずむの木を使って建てる
  2. セミセルフビルドで完成させる
  3. 自然素材で作る
  4. 土壁を付ける
  5. 古建具をリサイズして使う
  6. 手刻みで作る

4の土壁について。

 

 

自然素材でなるべく建材も使わないで作る、ということから、自然と土壁を付けようということになったんだと思う。

木神楽では、新築の場合、土壁の家の割合が多い。一体何故土壁を付けるのか?実は土壁自体には、あまり断熱性能はない。しかし蓄熱、蓄冷はするので、冬には暖房の熱を溜める作用があり、夏は直ぐに温度が上昇しないので、土壁の家は、ヒンヤリとしている。理想的には、土壁の外側に断熱材を入れて断熱効果をカバーしてあげるのが良いだろう。ちなみに鳥羽の家は、外面にフォレストボードという杉樹皮とパルプで出来た断熱材を入れた。

土壁は、それ自体に耐力壁の役割もある。伝統的構法では、筋交いを入れずに土壁で家を持たすのだ。よって鳥羽の家も筋交いは無い。

しかし最大の理由はそんなものでは無い。この地球、Earthである大地の土そのもので家が作られるという、その事自体がとても素晴らしく感じられるのだ。

何も複雑なものは無い。ただシンプルに大地に生えている竹を切り、それを編み、そこに大地そのものを塗りつける、土壁の家は、Earthそのものである。そして、当然解体され、廃棄される時は、自然のものだから、特に処理は要らない。また大地に還ってゆくだけだ。

地球環境の事を考えると、どんな建材よりも環境負荷の少ない優れたものなのだ。

もりずむの木で建てる家

《鳥羽の土壁の家 part3》

さて、鳥羽の土壁の家作りの特長をここにあげる。

  1. もりずむの木を使って建てる
  2. セミセルフビルドで完成させる
  3. 自然素材で作る
  4. 土壁を付ける
  5. 古建具をリサイズして使う
  6. 手刻みで作る

1番から順に説明。

 

1、お施主さんは、林業関係のお仕事をされていて、山のことには詳しい。そこで、美杉町の林業家、三浦さんと知り合い、そこの木を絶対使って家を建てる、と決めたそうだ。

三浦さんの木はもりずむで買える。

もりずむとは、正しくは、NPO法人もりずむである。代表の藤崎さんが、さきほど出てきた三浦さんという林業家さんと設立した。

健全な林業と製材の両立を目指して、特に新月伐採と葉枯らし乾燥に特化した杉材を供給している。

林業家と直接繋がっているので、山に生えてる木から選んだり、さらにはきこり体験なども行っており、好評だ。

美杉町の倉庫で天然乾燥された材料は、ツヤが良く、割れも少ない。加工もし易いのが特徴だ。


もりずむの倉庫。自然乾燥中の杉材が山と積まれている。

 

2、そして次にセミセルフビルド。施主さんの気持ちとしては、無理な借金をせずに家を建てたい、今の世の中の当たり前である家を買う、という風潮に流されず、素人の自分達でもやれば出来る、というところを見せたい、といったところか。

詳しくは、施主さんブログ「自然と共に」を参照されたし。

 

3、施主さんブログにもあるように、もともと自然大好きな家族であるから、当然、自然素材の家となるだろう。木神楽で建ててるのもほとんどそういう家であるし。

ただし、無理はしていない。ユニットバスも入れたし、断熱材にスタイロフォームを使ったり、ストーブやキッチン周りは、防火のための建材も使っている。

 

4以降は明日。

 

 

鳥羽の家を設計する

さて、鳥羽の土壁の家を設計するべく、現地にて打合せに行く。これもう2年くらい前の話し。

土地は、小高い丘の上。

平らで広々とし日当たり良好、後の調査で地盤も強固だということも分かった、中々良い場所だ。

またこれも後で判明するのだが、非常に風の良く当たる場所。(作業中も板とかの材料が吹き飛ばされるくらい)

これについては、台風とかの雨が良く当たる反面、良く乾燥するだろうから、家も長持ちするだろうと思う。

さてとにかくここの設計は、良く考えてこだわった。お客様とも何度も打合せし、何度も図面を引いた。あまりに色々詰め込み過ぎて、家が大きくなってしまったので、理想形より最終的には少し小さくした。

設計後半、色々悩みすぎたのと、他の現場との掛け持ちなどで、あまりに時間が掛かり過ぎ、お客様を随分待たせる事になったことは、結果として反省しております。

設計〜そして見積りの流れをいかに迅速に進めることが出来るか、ずっと考えている課題だ。

 

メインとなるリビング周りを少しだけ公開。

東南面は、ロフトまで広く開口を取り、冬は朝から夕方まで陽が当たる。その面だけ軒の出も深くした。

土間は、玄関からリビングまで続き、そこに薪ストーブを設置。

土間から、キッチン〜リビングへと少しづつの段差で流れるような動線を作り、一体感を出す。更に二階へ上がる途中にも中二階的な高さの踊り場を作り、そこにも居場所を作る、てな感じ。

構造に関しては、伝統的な木組みで行う。壁は竹小舞に土壁を付け、それを耐力壁とする。そして殆どの部材が表し(隠れずに見えてくる)。各部の納まりについては、メンテナンスを考慮して、あまり冒険はしないようにした。

もちろん材料は三重の木。そして今回はNPOもりずむの木を使うのだ。

つづく。。

火星に土壁の家を建てる

御報告が遅れましたが、NASUと共同で行う、「木神楽house イン火星」プロジェクトが決定となりました。

 

《この投稿は、エイプリルフールネタです。あしからずご了承下さい。》


NASAが、2030年に有人火星探査を計画しているのはご存知の通りですが、当然火星探査基地ともなるべきものも計画されています。

そこは、ひとつの街の様なものになるのですが、その中の一つに、木神楽プロデュースの木と土壁の家を建てるというものです。

もちろん、火星の石を使った石場建て、更に火星の土で壁を作ります。

 

今回のお話、NASU長官からの直々の依頼です。もちろん当然最初は断りました。

日本には、うちよりもっと素晴らしい建築をする工務店や設計事務所は沢山ある、と何度も伝えたのですが、トレンプ大統領からの電話で、プロデュースだけでもして欲しい、との事で、お引受けする事にしました。

建物としての条件は、火星にある素材を活かして、更に火星に残してきても決して害にならず、自然に風化し土に還る家です。

そこに住む宇宙飛行士は、もはや地球に帰還する事は出来ないので、生涯をそこで暮らします。だから、安心して、そして尚且つ安らぎを感じて住める家にして欲しいとの事です。

骨組みの加工はこちらで済ませるとして、問題は、向こうの土が使えるのか、水はあるのか、竹小舞を編む竹は生えているのか、何より、誰が火星まで行って建てて、土壁を付けて来るのか。

そこで木神楽では、火星まで行って家を建てたい、土壁を付けたいという職人を募集する事にしました。2030年まではまだまだ時間があるので、まだこれから見習いを初めて大工や左官になるのでも構いません。

ただし、火星へは片道切符です。

行ったら帰って来る事はないでしょう。生涯をこのビックプロジェクトに掛けてもいいという強者がみえたら、是非ともご連絡をお待ちしております!

 

尚、下記ニュースにもあるように、近々来日する長官と、第1回目となる打ち合わせをする予定です。

火星への旅、日本も一員に。朝日新聞より

漆喰壁に落書き

久しぶりに落書き塗り絵をした。自分はきちっとした絵は描けず、いつも適当に引きたい線を引いて、その時塗りたい色を塗るだけ。ほとんど落書きに近いので、勝手に落書き塗り絵と名付けている。

キャンパスは、改修中の古民家の漆喰壁。

施主様に冗談半分で、落書きしてもいいですかと聞いたら、オッケーを頂いたので、施主様の気が変わらないうちに、さっさと描いてきた。日曜の夕方に行ったら夕ご飯まで出してくれたので、夜なべして仕上げてきた。

一応モチーフはあって、施主様が農家さんなので、野菜とか自然とか買ってる猫とかがテーマ。

施主様には、気に入らなかったらペンキで消すなりしてくれと伝えた。ご、今度行った時、本当に消えてたらそれはそれでショックかも。

漆喰壁は吸い込みが多くて、描きにくかったが、壁に描くのって何か気持ちいい。よくビルとかの外壁に落書き してあるが、あれの気持ちがよく分かる。

さて、次の落書き場所はどこにしようか。

松阪の土壁の家 つづき

随分と間が空いてしまったが、松阪の土壁と石場建ての家のつづきを書く。

前回は、ヨイトマケが済んだとこまでだったはず。

そしてこの様な、石を並べた基礎が出来上がった。どう見ても遺跡の様。これは、去年の4月頃の写真。

(因みに、現場は去年の秋に完成し、国産薪ストーブも付いて、お客様が暮らし始めてます。)

さて此処からが、大工達の腕の見せ所。石場建てと言って、柱をまず石に建てる構造。当然、通常とは全然違う、非常に技術も要るし、手間も掛かる、しかし好きモノには堪らない、ある意味ヘンタイ的な建物だ。

伝統建築には欠かせない、丸太の地棟も使用。用意したのは、よく乾いた国産松丸太。

写真に写ってる丸太の傍らで、睨みを利かせて、、じゃなかった、仕上がりを確かめてるのは、この家の墨付けを担当した前田。大工仕事から建具作り、果ては板金工事までこなすマルチプレーヤーである。

そして刻みは、仲間の大工に応援を頼み、どんどんと進んでいく。

社長のわたくしは、段取りに専念、そして職人が迷わず仕事を進められる様に、細部に至るまでの納まり図作成に専念。

実はこの時、もう一軒の新築の刻みも同時に進んでいて、木神楽史上初めての、建てまえ二連ちゃんを迎えることになるのだ。

つづく